心理カウンセラー愛夫家りお

 パートナーシップと家族とわたし

昨日の話ってホントですか?「ホントです」え、むかつくんですけど! ~シャドウ登場ですね?~

昨日の話ってコレ。

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「これってふざけてるんでしょう?」いいえ、至ってまじめです。本当のこと話してます。比較や競争、それを手放すと身も心も楽になって、人づき合いも楽になるのは本当の話です。手放す方法も、本当の話です。わたしもやってます。効き目あります。本当です!

って言っても、信じてもらえないかもなぁ。なんの話?だもんねぇ。と思っていた昨日です。

シオカラトンボもイナゴも、書いてるわたしも、書かれてる中でしゃべってるわたしも、全部「わたし」。もっと言うと全部「読み手のあなた」。つまり、どれもこれも全部「投影」と思って可なんですよ。たぶん。だから、シオカラを肯定できたら、それって自分を肯定できたことだよねぇと思ってるんです。ああでも、全部「投影」だなんて、考え始めたらしっちゃかめっちゃかでワケわかんなくなりますよね。

大丈夫です。正しく理解しなくちゃ!とか、ちゃんとしなくちゃ!とか、正解を求めたり、完璧を求めたりしなくても大丈夫です。どれもこれもわたしであなたです。それがしんどいなら、「今」直感的に何かを感じてる自分が、「『今』を生きている自分」という意味で、「ホントの自分」だと捉えていいかなと思います。

たとえば、今、シオカラトンボの気持ちがわかるなら、シオカラトンボに自分が投影されてるんだなぁと捉えてもいいし、「何も感じない」「むかつく」「読者をバカにしてんの?」と感じるなら、ああ、自分はおバカ禁止アホ厳禁の世界に生きてるんだなぁ~と捉えてもいいし。

何でもあり、自由です。

なにはともあれ、「『今』一番気楽になれる自分」であればいいかな。わたしはそうしてます。

ああでも、カチンと来るときは来ちゃいますよね!カチンと来たら「師匠!」と叫べ。「師匠ー!」(絶叫

あ。根本師匠を呼んでるんじゃないですよ。ああでも、呼びたいですよね。師匠助けてーと。もうね、何もかも全部任せたいですよね。そうすれば、絶対に間違えないじゃないですか。不足だってないですよね。

出た!正解主義、完璧主義、理想主義、ファンタジー

さて。

「むかつく」「おバカ禁止アホ厳禁の世界に生きてるな~」って、それって投影じゃなくて、影(シャドウ)じゃない?

そうですねぇ。

ホントに。カチンと来るというか、なんでかよく分かんないけどムカつくってあります。

そんな自分って酷い人間で嫌い。相手は何も悪いことしてないのに。一方的に悪意を抱くなんて、わたし最悪。なんて罪深い。わたしはもう終わった。生きててごめんなさい。

そんな気持ちになります。

わたしの場合、最近は、弱そうな男性に話しかけられるとカチンと来てイラっとします。

「え?何いってんの、このおばさん。自分の顔みて言えよ。キモ!」

と、誹謗中傷罵詈雑言の嵐が吹き荒れそうですが、実は少し前に色々あって、今、そんなわたしになってるようです。

わたしは、人が大好きなので、コミュニケーションを取りたくてたまらない人です。なのに、自分はそれが全然出来ないと思い込んでいます。こういう自己判断はたいてい間違ってるんですよねー。とはいえ、同じ失敗を繰り返して泣き崩れるほどだと、「自分は全然ダメだ」「だからしっかりしなくちゃ」と頑張るモードに突入せざるを得なくなります。

で。少し前に、わたし、また同じ失敗をやらかしました。少なくとも本人にはそう感じられて、凹みまくる出来事がありました。

それで、見事に自立したんです。しかも、コミュニケーションがうまく取れないよー誰かなんとかしてーと怯えに怯え、激しく依存に落ち込んだ分、激しく自立しちゃったんです。

くっそ。もうわたしは同じ失敗はしない!もうわたしは怖れない!もうわたしはなりふり構わず好きにする!ぜーったいに誰にも頼らない!頼るもんか!!

こうなると、俄然、弱々しい人に対して厳しくなります。弱かったときの自分をがっつり思い出しますから、「そんな自分ではダメだ!」と言わんばかりに、「ダメなヤツ!あんたなんか嫌い!」なんてカチンどころかカッカしてしまいます。

でもさ。なんで男性限定なん?なんか酷い目にでもあったん?

自分でも謎だったんですよねぇ。以前はね、弱々しい女性に対してカチンと来てたんです。これはズバリ、母への怒り。母を思い出させる感じの人はみんな嫌い!と怒ってたんですね。

じゃぁ誰?お父さん?

違うなー。というのも、わたしの父もまた「ダースベイダー」だから。弱くないです。

お父さんは「ダースベイダー」。出典はこちら。お弟子6期えるさんの記事。

note.com


じゃぁ誰よ?なんだけど。

まさか、まさかの!?

弟たちでした。

え?ええ?もう本当にビックリ!

「慢性的な問題は、ラスボスおかんにそろそろ本気で向き合おうぜ!という合図だ。もう肚を括るしかない」と追いつめられたわたしは、この数か月、毎日滂沱と涙を流しながら、母問題、そして父問題に取り組んで来ました。しんどかった。

そんな中でお弟子さん制度プレセミナーを迎えたわけですが、ちょうどその頃、ひとまずの落ち着きを取り戻しつつありました。やりたいことで忙しくなってきたから、癒着も執着も切れやすくなってくれたんだと思います。

このように、両親に対しては、つらい思いが積もりに積もっていたわたしですが、20年以上かなぁ、同じく疎遠になってる弟たちに対しては、特に何のわだかまりもないとずーっと思っていました。疎遠になってるのは、両親と絶縁する上でやむを得ずそうなってるだけだ、と。

ですが、弱そうな男性に話しかけられるとカチンと来るわたしに、よくよく耳を傾けてみると、彼女、こんなことを言ってたんです。

なんでわたしがあんたらを構わんといけんの?それはわたしがしてもらうことでしょ?構ってもらうのはわ・た・し!そこはわたしの席!なのに、人懐っこい仔犬かなんかみたいにまとわりついて来るとは!笑止!無礼者!いね!

あなた何歳?

たぶんね、4、5歳くらいから、小学校低学年くらいじゃないかなぁ。

ああ、なんか泣けて来た。

4歳のわたし。弟たちは、1歳と2歳。小さいわたしは「お姉ちゃんなんだから」って、だいぶ頑張ってたんじゃないかと思われます。「お姉ちゃん」の地位は、とても栄誉で誇らしいものであった一方、甘えたい気持ちをぐっとこらえなくてはならない、寂しいものでもあったでしょう。

それが、なぜか今、噴出してる。

なんで?なんでそんな人たちが私の前に現れるん?

nemotohiroyuki.jp

理由は色々ありそうです。

そして今、わたしには、こんな声が聞こえています。

甘えたかったねぇ。寂しかったねぇ。悲しかったねぇ。つらかったねぇ。もう頑張らなくていいよ。一人でなんとかしようとしなくていいよ。大丈夫。ぎゅーってしてあげよう。いやいや、随分立派な大人になったねぇ。随分素敵な女性になったなった。すっかり美人のお姫様で、どんと構えたおばちゃ、女王様になってるよ。なってるなってる。大丈ー夫(笑)なってるよっ!よく頑張ったねぇ。今もまた頑張ってるねぇ。大丈夫、大丈ー夫。

「生きられなかったもう一人の自分」。影(シャドウ)。

大丈夫。かまってちゃんの甘ちゃんになってよし。

ゆるしておやり、そんな自分を。