皆様、こんにちは。
夫婦歴24年、心理カウンセラーの愛夫家 りお です。
大学院卒の元国語教師でクリスチャンの私が、ちょっぴり自分に厳しすぎて疲れてしまっているあなたを休ませ、あなたらしく自由に生きる女性にします。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)
そんな聖書の言葉を引用して、自己紹介してみました。
(ていうか、キャロさんのブログをめっちゃ真似しとるね!*1
TTPかっ!*2
そうです、めちゃくちゃ感謝してます!!)
久々のブログ更新です。
先月開かれた、キャロさんの「弟子限定ブログ添削とグループコンサル」で学んだことを存分に生かして、ブログを書いていくわよ。
(グルコンの感想は、またのちほど記事にする予定よ。)
出来なくても、たとえどんなに遅くなっても、何とかしようと諦めずしつこく頑張るすっぽん根性。
わたしの特徴、いえ特長*3です。
(ああでも、サっと、スマートにカッコ良く出来る人への憧れは絶えないよー)
というわけで、今日は、自分の価値を受け取って幸せになろうぜ!というお話です。
***
先日、わたしは人間ドックへ行って来たんです。
でね。
お医師さんや看護師さんにいたく褒められたんです。
結果が素晴らしく優秀だったのだとか。
まずお医者さん。
わたしの血液検査の結果を見ておっしゃっいました。
「素晴らしい。
優秀です。
というか、こんな結果見たことないです。」
そう言われてもわたしね、素直に喜べませんでした。
頭の中は「?」でいっぱい。
さらには、「たくさんの人を診ているお医者さんなら、他にも成績優秀な人をたくさん知ってるんじゃない?
わたしが優秀なわけない!」
そう思う始末。
わたしは優秀なわけない。
それって言い換えるとこういうことです。
わたしは優秀と褒められるに値しない。
わたしにはそんな価値はない。
わたしに価値はない。
わたしは無価値だ!
この、わたしの心にある無価値感。
これのせいで、わたしは素直に喜べなかったんですね。
とはいえ、わたしもだいぶ自己肯定感が上がって来ています。
(つまり、だいぶ無価値感が癒されて来ているということね。
どうやって癒したの?っていうのは、また今度しっかり書くわ。)
なのですかさず、「まぁ、疑心暗鬼にもなっちゃうよねー」とまず自分を認めてあげました。
そして、そんな自分を肯定してあげました。
すると、「わたしは優秀なんだなぁ」という気持ちに心はスっとシフトしました。
それから、「ありがとうございます!」とお医者様へ感謝の言葉、にっこり笑顔。
(自分オモロー!とも思ってもいます。)
見事、自分の価値を「受け取ること」が出来ました。
嬉しいなぁ。
次に看護師さん。
健康状態のグラフを見ておっしゃっいました。
非メタボリック。
諸々数字が良い。
プロポーションも良い。
「素晴らしいですね。
何か気を付けてることはありますか?」
わたしは、「え?」と一瞬、思考停止です。
だってね、この3ヵ月。
寝付けないって夜更かししちゃぁお菓子を食べてたんです。
翌朝、寝不足と胃もたれでどっぷり疲れて目が覚める。
当然、やりたいこともはかどらん。
というか何も出来ん。
動いたら倒れる。
それくらいしんどい。
「これのどこが健康じゃ!
5キロ太ったわ!」
と思ったんですよねー。
(なんでそんな暮らしになってたのかは、また今度。)
なのでわたしは言いました。
「昼も夜も夫と食事が別なんで、テキトーに、納豆とキムチとご飯とみそ汁でいいかーというカンジです。」
良く言えば質素。
でも、簡単や手抜きを超えたズボラというか、おしゃれ要素が一つもない。
ちょっと恥ずかしい。
ただ、それでも気にしてることがある。
赤(タンパク質)と緑(ビタミン)と黄(炭水化物)の栄養バランス。
(納豆は赤、キムチは白菜で緑、お米は黄、という具合。)
すると看護師さんはおっしゃっいました。
「素晴らしいですね!
ちゃんと栄養バランスに気をつけてるんですね!」
さらに質問は続きます。
「何か運動はされてるんですか?」
これまた一瞬、わたしは口ごもります。
それでも、思い切って正直に申告。
「わたし、できれば家から外に出たくないんです。
出来ればずっとじっとしてたいです。
運動はキライです。」
さすがは元引きこもりのわたしです。
本領発揮です。
ただ、そんなわたしでも、一応やってることがあるんです。
食べても動かないでいると、健康への不安や罪悪感も募って来るんですよね。
なので、せめてもと思って、高齢者向けの軽い筋トレやストレッチをやってます。
言うなれば罪滅ぼしの、埋め合わせ。
こういうのを補償行為って言います。
すると看護婦さんはおっしゃっいました。
「素晴らしいですね!
筋トレにストレッチもされてるんですね!」
うあぁ!
看護婦さん、なんて人だぁー!
素晴らしい。
わたしの全てを良い面から見て言い換えてくださる!
わたしもこんな人になりたい。
そう照れてしまって、わたしは泣きそうです。
それにしても、わたし、自分はもうちょっと運動する人かと思ってたんです。
小学生の頃なんて、短距離選手で水泳選手だったんですよ。
大学生の頃もずっと自転車通学だったし。
なんなら今でも自転車。
(ペーパードライバーになっちゃったよ。)
でもね、もう正直に言います。
運動キライ。
うあぁ!
いいカッコしーのいい子をやめる。
すなわち降参の白旗をあげるって、なかなかの衝撃です。
でもまぁ、「自分への期待」を手放したということで自分に拍手喝采よね。
(「自分への期待」というのは、自分はこれくらいはできるはず、という、自分に対する高すぎる”基準”のことね。)
というわけで、看護師さんの絶賛は続きます。
「禁煙も出来ていて、食事も気をつけていて、運動もされてる。
これから綺麗になっていくばっかりじゃないですか!」
確かに、禁煙して以来、お肌の調子は良いです。
丸10年吸ったわ。
でもー。
褒められるたびに、わたしの心にはある思いが募って行きます。
「ちゃんとしてないのに、褒めさせてごめん。」
これって罪悪感ですよねー。
この罪悪感のせいで、わたしは素直に喜べないでいたんですね。
とはいえ、わたしもだいぶ自己肯定感が上がって来ています。
(つまり、だいぶ罪悪感が癒されて来ているということね。
どうやって癒したの?っていうのは、また今度しっかり書くわ。)
なのですかさず、「まぁ、ちゃんとしてないって思っちゃうよねー」とまず自分を認めてあげました。
そして、そんな自分を肯定してあげました。
すると「わたしは、自分が思ってるほどは悪くなかったかー。
というよりむしろ、素晴らしかったかー!」という気持ちに心はスっとシフトしました。
それから、「ありがとうございます!」と看護師さんへ感謝の言葉、にっこり笑顔。
(自分オモロー!と思ってもいます。)
見事、わたしは、自分を許し、自分の価値を「受け取ること」が出来ました。
幸せだなぁ。
***
というわけで、とても優秀な成績を収めた初めての人間ドック。
褒め言葉を受け取って、わたしはこの上なく上機嫌です。
あんなに不摂生してたのに。
ラッキー♪
わたしはなんという幸せ者だろう。
わたしは幸せです!
が!
人は、幸せであればあるほど、失う怖さを感じてしまうものです。
とても優秀だったからこその不安が頭をよぎります。
恋愛で言うところの「幸せ過ぎて怖い」って感じです。
違うな。
宝くじで1等が当選して、明日の命はもうないかも、人生の運を全て使い果たしてしまった、って感じです。
という点も、なかなかうまく出来ておりました。
お医者様に言われました。
「肝臓に何か影がありますね。
たぶん大丈夫です。
でも念のため、3か月後に再検査に来てください。」
どんな自分であっても認めてあげて、受け入れてあげて、今を感謝しながら生きる。
そうしてると不思議なことに、今の自分にちょうど良いことが色々起こって来ます。
再検査なんて不安よねー。
でも、無価値感や罪悪感を超えて「わたしって素晴らしいなぁ」そう思えていたわたし。
そんなわたしは、良かったなぁ嬉しいなぁと心が喜びに満たされていました。
なので、再検査を「問題」と感じることはありませんでした。
自己肯定感が上がると、こういう効果があるんですね。
嬉しいわー。
とはいえ、気をつけるに越したことはなし。
1日15分は外に出て歩こう。
お菓子の買い置きはやめよう。
睡眠時間をたっぷり取ろう。
少なくともこれから3ヵ月、頑張ります。
そんな決意を看護師さんに伝え、拍手をいただいて、帰宅です。
***
いかがでしたでしょうか。
今日、自分は褒められても受け取れない、自分は褒められるに値しないと感じている人はいますか?
自分は褒められてはならない、むしろ叱られるべきと感じている人はいますか?
無価値感で心がいっぱいで、苦しいですね。
罪悪感で心がいっぱいで、つらいですね。
どうかそのような時は、是非、その気持ちをお話しに、カウンセラーの元へとおいでください。
わたしたちは、あなたを待っています*4。
わたしは、あなたを待っています。
(マイペースではありますが、わたしも、カウンセラーとして一日でも早く働けるよう、これからも準備を頑張ります。)
あなたの心が癒され、「わたしは素晴らしい」という愛と希望で満たされますようにと祈りつつ。
りお