愛夫家りお

心の深みに潜む感情に気づき、生きやすさを手に入れるサポートをいたします

働くことが怖かったわたしが、愛されていると気づいたとき ~「つながる」ことで起こる心の癒し~

素顔のわたしでラク~に生きる、クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家(あいふか)りおです。

 

わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し(中略)ている。(旧約聖書イザヤ書 」43:4ab)

 

心が震えると、体がふわっとゆるむ

 


人は、心の震える体験をすると、不思議な脱力状態になります*1

 


体がじわっと温かく感じられるような、ふわふわしたような。

 


そんな感覚に包まれます。

 


(たとえばそれは、

 


映画館で、感動的な映画を観終わって館内照明が再びともった時とか

 


旅先で、温泉にゆっくりつかったあとの、眠気を誘うくったりした感じとか

 


気づいたら、好きな人のことばかり考えていてうっとりしていたとか――

 


そんな感覚に、似ているかもしれません。)

 


また、ふとした瞬間に胸がいっぱいになって、涙がこぼれたりもします。

 


いつになく笑い上戸になったり、饒舌になったりもします。

 


忘れ物をしたり、遅刻をしたり、何もないところでつまづいたり。

 


自分でもびっくりするほどの”抜け作”になることもあります。

 


そんな、心と体がほぐれていく感覚。

 


先日、心理カウンセリングのモニター募集を告知したあと、わたしは、まさにそんな状態になっていました。

 

 

わたしにとって「働く」とは

 


わたしにとって、「働く」ということは長らく怖いことでした。

 

 

30歳で過労により引きこもり、40代には「50歳には働けていたら…」と夢見るだけの日々。

 


夢見るのだけど、やっぱり、「働けばまた倒れてしまうのでは」と怖くなる。

 

 

そんな悪いイメージを何とか払拭しようと、もがいていました。

 


お弟子講座が終わって2年半ちかく。

 


さまざまな出会いと励ましのなか、わたしは少しずつ前を向き、そしてついに告知の日を迎えました。

 

モニター募集の反響がくれたもの

 

 

告知直後、わたしは、自分を誇らしく感じて、一人、意気揚々した気分で過ごしていました。

 


しかし、その後に届いた数々の応援や反応を見て、わたしは、思わず言葉を失いました。

 

 

たくさんの方の「いいね」や「リポスト」!

 

 

引用リポストでは、わたしが素晴らしく紹介されています。

 

 

「そっと寄り添ってくれる人」*2

 

「光を与える人」*3

 

「言葉の力で導いてくれる人」*4

 

 

お弟子講座を受講していたとき、緊張に打ちのめされていたわたしの駆け込み寺となってくださった先輩*5も、駆けつけてくれました。

 


見上げて怖れて、随分遠くから師事してた根本師匠も、静かに温かく、力強く応援してくださいました。

 

 

(わたしは師匠に「見つかった」と思っているけど、師匠は「見守って」おられたのかもしれない)

 


どこで何を書いても長文コミュ障に思えたわたしに、自分の魅力や才能がどのようなものか、力強く伝えてくださった先輩*6もいました。

 


自分の「好き」を思い切り表現している、どんな自分であってもそのままで前に出ている、いつも自分のベストを尽くして観客に喜びを与えている――

 


わたしの「お手本」である、ミュージシャンの方々もいました。

 


子育てをしながら、家計を支えるため働いておられる方々も。

 


自分の夢を実現するために、あちこち飛び回っておられる方々も。

 


一家の大黒柱として、頑張っておられる方々も。

 


誰かのために頑張って、自分は後回しで、それでも尽くして燃え尽きている人たちも。

 


誰かのために頑張れなくて、孤独を感じていて、それでも日々生きる選択をし続けている人たちも。

 


ただ在るだけの日々の中、絶えず自分と向き合い続け、魂を磨いている人たちも。

 


様々な方々が、わたしを応援してくれていました。

 


わたしは、とても多くの人に見守られていたのです。

 

隠れていたわたし、隠していたわたし

 

 

実は、2年前の夏からX(旧Twitter)での活動を休んでいました。

 


投稿してはまた沈黙……そんな状態が続いていました。

 


けれど、その間も、地道に活動はしていたのです。

 

 

(毎回、そう言い訳してたわ)

 


勉強会、実習、セミナー参加、ブログの整備、フォーム作成……

 


さまざまな活動をしていました。

 


けれども、それはどれも”隠密行動”でした。

 


最初のうちこそは、失敗するのが怖いとか、出来ないことが知られるのがつらいとか――

 


そんな見栄やプライドがあったからでした。

 


(ダメ出しをされる前に、分からないフリ、出来ないフリ。

 

 

気づくと、そんな弱いフリをして、「わたしってダメなんですぅ~」って感じで振る舞ってたよ)

 


それを何とかクリアできたと思ったら、次の課題がやって来ます。

 


生き生きと働いている人たち。

 

 

彼らを目の当たりにすると、嫉妬の炎が燃えたちます。

 


頭では分かるんです。

 


『生き生きと働いている人たちみたいに、わたしも、リーダーシップを取ればいいじゃん!』

 


と。

 


でも、心の中の「小さな子供のわたし」*7が、

 


『誰がやるもんか!』

 


と反発します。

 


(お父さん、お母さんに歯向かってる感じよ。

 

 

わたしの父は、とても怖かったの。

 

 

そんな心の中のお父さん=リーダーとの葛藤を、「権威との葛藤」と言ったりするよ。

 

 

お父さんみたいなリーダーは、いつも一生懸命で怒ってて、孤独なイメージよ。

 

 

お母さんは、そんなリーダーに黙ってついていく感じだったわ)

 


そんな自分に向き合う日々。

 


けれどそんな隠密行動の裏で、

 

 

「働きたい」

 

 

「役に立ちたい」

 

 

「誰かを喜ばせたい」

 

 

という思いは、むくむくと湧いていました。

 


そして、今年に入ってやっと、わたしは心を決めたのです。

 


『今まで、わたしは、「小さな子供のわたし」にしがみついてきた。

 


そして、たくさんの「怖れ」や「不安」や「怒り」――

 


それを、大事に大事に抱きしめていた。

 

 

まるで、「わたしがこんなにつらいのは、怖かったお父さんのせいだ!冷たかったお母さんのせいだ!」と言わんばかりに。

 


でももう、出来ないフリ、分からないフリ、弱いフリ――

 

 

そんな「子供のフリ」をやめよう。

 


もう、わたしは、「大人の女性」だ。

 


わたしは、「今」を生きよう。』

 

 

と。

 


そして、わたしは、「小さな子供のわたし」に言いました。

 


『本当にずっと、よく頑張って来たね。

 


今まで、わたしを「怖いこと」から守ってくれてありがとう。

 


これからは、手をつないで、一緒に幸せを喜びながら歩いて行こうね』

 

 

「好き」に集中して、自己を受け入れる

 

 

こうして、「小さな子供のわたし」と「今のわたし」は、一つになって生き始めました。

 

 

意識は常に、「今、ここ」にあります。

 

 

すると面白いことに、隠密行動がだんだんと減ってきました。

 


さらに、

 


「わたしは、もう、不完全でもいい」

 

 

「失敗しても、出来なくても、それでもわたしは、愛されている」

 

 

「嫉妬するのは、わたしの中にも同じ輝きがあるからだ*8

 

 

「もう、そんな自分を認めよう」

 

 

「わたしにも、生き生きと働ける力がある」

 


と、自分をゆるすこと、自分の価値・魅力・才能を受け取っていくことも、ますます上手になっていっていきました。

 

 

(自己肯定感がますます上がるわね)

 

 

他人もますます気にならなくなってきました。

 

 

(自分軸もしっかりして来るわね)

 

 

とはいえ、

 


「頭はスパークしてるのに、ブログをさっさと書けない」

 

 

「ピアノの1曲を完成させるのに、1年かかってる」

 

 

「やる気が出たと思ったら、すぐ疲れて休む」

 


のは相変わらずで、全然かっこよくありません。

 


でも今は、そんな自分も愛おしく思えます。

 


時には、潔いほど「自分の好きなことしかしない!」と、わがままな態度を貫けたりも!

 


(不思議なことに、なぜか、それが一番色々うまくいく在り方だったりします)

 


そんなわたしは、「自由人。」だな。

 

 

そう感じて、ふっと笑えたりもします。

 


(師匠には、「え…?今頃気づいたの…」と言われそうじゃ)

 


誰かの型に合わせず、自分のままでいい。

 


自分のタイミングで、好きな形で生きればいい。

 


そう自然に感じられる。

 


こうして、わたしは怖れを超えて、再び「働く」世界へ踏み出すことが出来たのでした。

 

 

「過去の自分」とつながった先に、愛があった

 

競争心が強くて、見栄っぱり。

 

 

プライドが高くて、嫉妬深い。

 

 

なのに臆病で、何にも出来なくて……

 


そんな自分はみっともない。

 

 

(『山月記』の李徴みたい*9

 

 

そう自分を嫌ってきたわたし。

 


「小さな子供のわたし」も置き去りにしてた。

 

 

そんな、わたしが、過去の自分ともう一度つながった。

 

 

周囲の人たちともう一度つながった。

 


そこで、気づかされた。

 


「わたしは、こんなにも価値のある人間だった」

 


「わたしは、こんなにも愛されていた」

 


と。

 


それは心の震える体験でした。

 


だからか、この数日間は、心も体も脱力していました。

 


夫と出かけたピクニックは、木陰を渡る風も心地よくて、強い日差しに照らされた静かな公園が、とても平和に見えました。

あなたの物語へ

 

 

「癒し」とは、

 

 

・物の見方がポジティブに変わること*10

 

・悩んでいるのを忘れていること(忘却)*11

 

・「自分」とのつながりを取り戻すこと、人と「つながる」こと*12

 

 

そのように、わたしは捉えています。

 

 

その「癒し」が、わたしに起こった。

 

 

それは、これからまたさらに、わたしが自分らしく幸せに生きる力となってくれるでしょう。

 


もし、今日、鬱屈した自分の、その心の壁を破りたいと切望している人がいるなら。

 


もし、今日、何も飾らない素顔の自分で、自分らしく人生を歩んでいきたいと熱望している人がいるなら。

 

 

どうぞ、わたしのカウンセリングにいらしてくださいね。

 

 

一緒に幸せになっていきましょうね。

 

 

愛夫家りお

 

ご案内

現在、2025年7月【60分無料】心理カウンセリング・モニターを募集中です。

randomstories.hateblo.jp


*1:感情の抑圧や緊張が解放されると、自律神経系が副交感神経優位(休息・回復モード)へと切り替わるためともいわれています。
これにより、体がリラックスし、力が抜けたような感覚(脱力感)が生じたりします。

*2:実佐さんより

*3:さかいじゅんさんより

*4:東(あずま)ゆうさんの引用リポストを元に要約

*5:やまだようこさん。ありがとうございました!

*6:キャロさん。教えていただいた「ブログの書き方」は、わたしの宝です。

*7:さいころに感じた嬉しかったことや、傷ついたこと、頑張ったことを今も覚えていて、大人になってもその思いが心の中で生きている「心の中にいる子供」のこと。インナーチャイルド

*8:根本裕幸セミナー動画:心理学講座「嫉妬はあなたの魅力を教えてくれる素敵なサイン。

*9:中島敦の著作。李徴は、才能と誇りを持ちながらも、「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」のせいで、自分の弱さを認められず、人間としての心を失ってしまいました。その心の揺らぎが虎という姿で描かれています。

*10:根本裕幸『カウンセラーなら知っておきたい心理学の基礎講座』〇「癒し」より

*11:根本裕幸『1日5分、スキマ時間にととのう本』p.190

*12:ジュンコさん、ミナトさんによる、ヒーラーズ・スクール説明会・体験会での学び