素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りおです。
ネットサーフしていて、新川和江さんの詩がふと目に留まった。
そういえば、昨年の8月に亡くなられたのだった。
もうすぐ1年になる。
詩は中学の国語の授業で習っただろうか。
あれからもう40年近く経つ。
それでも、今も読むたび、鮮やかにわたしの心を打つ。
いや、中学生の2倍も3倍も生きてきた今は、尚一層の深みをもって、わたしの心を打つ。
わたしを束ねないで
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風わたしを区切らないで
,や.いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
この詩を初めて知ったとき、「本当にそうだ。そしてわたしも、こうして束ねられることにあらがっていく人生を送るのだな」と思ったのを覚えている。
わたしも、妻となり、母となるだろうと思っていたからだ。
そうして、親に、親族に、社会に、束ねられていくのだろうなと思っていた。
そんな風に、わたしはずっと、束ねられる側の人間としてこの詩を読んでいた。
ずっと、束ねようとする人たちに向かって「なんで分かってくれないの!?」と叫ぶ側に立っていた。
そしていつしか、わたしは、こんな風につぶやくようになった。
「あなたたちの、そういうところがダメよね」
反撃開始だ。
あなたたちは間違ってる、わたしが正しい。わたしを束ねないで。
全然分かってないな、あなたたち。束ねるな。
なにすんだ。束ねるなっていってるだろ!
けれども、ある日ふと気づく。
怒りに満ちたわたしこそ、目に映るあらゆる人たちを、束ねようとしているのではないかと。
自分が束ねられないように、傷つかないように、一生懸命頑張ってきた。
ときには、束ねられても歯を食いしばって耐えてきた。
そんなわたしには、反論する資格があって、反撃する権利があると思っていた。
でも、「あなたたちのせいで、束ねられたわたしは、不幸だ!」というのは本当なのだろうか。
そんなわたしこそ、自分の基準で人を束ねて、窮屈な思いをさせてはいまいか。
これじゃぁあべこべだ。
わたしは、わたしだけでなく、誰もが束ねられない世界を願っていたはずだ。
なのに。
こんなはずじゃなかった、と涙がこぼれる。
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分の望むことはせず、かえって憎んでいることをするからです。
わたしは何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(新約聖書「ローマの信徒への手紙」7-15、24)
あぁ、わたしは、「わたしを束ねないで」と言われたときに、「はい!」と答える人でありたい。
もし、束ねてしまうようなことをしていたら、「ごめんね!」とすぐに謝れる人でもありたい。
そうなるにはどうすればいいのか……。
今の自分ではなれそうになくて、意気消沈しそうにもなる。
強気な自分を手放したら、弱い自分はあっという間に崩れ落ちそうで怖くもある。
それでも、わたしは光に向かおう。
弱い自分のまま、愛に手を伸ばそう。
そして、喜び感謝し、祈りつつ生きていこう。
パウロは、救いの秘訣を次のように証している。
口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる。
実に、人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるのです。
ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
「主の名を呼び求める者は皆、救われる」のです。(新約聖書「ローマの信徒への手紙」10-9~10、12~13)
「イエスよ、あなたは神です。」
「あなたは救い主です。」
「神は愛なり」
わたしは信じ、祈ります。
そして、「はてしなく流れていく 拡ひろがっていく 一行の詩」である、わたしたち一人一人を、互いに喜びあう人になります。
人が主に向くならば、覆いは取り去られます。
主は霊です。そして、主の霊のあるところには自由があります。
私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。
これは主の霊の働きによるのです。(新約聖書「コリントの信徒への手紙二」3-16~18)

わたしは気づきました。
だから、わたしは変わっていけます。
わたしは光を仰ぎました。
だから、わたしは「主と同じかたち」、愛へと変えられていきます。
「終わりのない文章」であるわたしたちに、これからも、たくさんの喜びがありますように。
共に、幸せになって行きましょうね。
愛夫家りお
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