愛夫家りお

心の深みに潜む感情に気づき、生きやすさを手に入れるサポートをいたします

「頑張れない私」はダメじゃない?「自分いじめ」の原因、無価値感と罪悪感から自由になるヒント③

素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りお です。

 

主はあなたの過ちをすべて赦し/あなたの病をすべて癒やす方。(旧約聖書詩編」103-3)

 

 

前回のおさらい

 

「自分いじめ」はやめたい。

 

 

なのに、ついやってしまうわたしたち。

 

 

そこから抜け出したいのなら、「自分を大切にする」といい。

 

 

じゃぁ、「自分を大切にする」とはどういう心の状態になることか?

 

 

前回は、それを6つのポイントに注意しながらたどってみました。

 

 

読みながら追体験できるといいな、そうして、少しでも楽になる感覚がつかめるといいな、と思っています。

 

 

▶前回の記事はこちら

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さて、今回は

 

それにしても。

 

 

そもそも、わたしたちはなぜ「自分いじめ」をしてしまうのでしょうか。

 

 

なぜ、頑張って、頑張って、頑張り過ぎてしまうのでしょうか。

 

 

今回は、その原因や動機となる、心の問題をつくり出す二大巨頭、「無価値感」と「罪悪感」についてお話したいと思います。

 

 

無価値感とは?愛されないと思う心の正体

 

無価値感とは、「自分には(愛される)価値がない」という感覚・感情のことです。

 

 

「自分には価値が無い」と思い込んでいて、自分をちっぽけな存在として扱う感覚でもあります。

 

 

また、周りの人より劣っているようにも感じさせます。

 

 

自分には価値が無いですから、自分の中身が無いような、心にぽっかりと穴があいているような感じもします。

 

 

無価値感があるとどうなる?埋まらない心の穴

 

心にぽっかりと穴が空いているような感じがしますから、外側の何かで心の穴を埋めようとし続けます。

 

 

ブランドもので身を固めたり、沢山資格を取ってみたり、「いいね」や再生回数を増やそうとやっきになったり…。

 

 

また、自分のことを過小評価して自己卑下するので、人より頑張らなければと犠牲的になってしまいます。

 

 

たとえば、「わたしはありのままでは誰からも必要とされない、だから、何者かにならねば」という風にです。

 

 

苦しいですね。

 

 

でも、どんなに頑張っても、無価値感に心が支配されていると、自分にはまったく価値を感じられません。

 

 

ですから、誰かに認めてもらうことで存在価値を感じようとしてしまいます。

 

 

「褒めて!」「察して!」「分かって!」「許して!」

 

 

という風に、承認欲求が強く出てしまうのですね。

 

 

けれど、無価値だと思い込んでいる自分が手にすると、価値あるものも「無価値」にしか感じられません。

 

 

ですから、どんなに与えてもらっても、満たされる感じがしません。

 

 

結果、承認欲求は底なしで、ついには孤立してしまうこともあったりします。

 

 

すると、激しい飢えを抱えたまま、一人で、果てしなく頑張り続けるしかなくなってしまうわけです。

 

 

皆さん、いかがでしょうか?

 

 

何か思い当たるものはあったでしょうか?

 

 

罪悪感とは?「罰せられるべき」感覚の正体

 

次に、罪悪感です。

 

 

罪悪感とは、「自分は罰せられるべきである」という感覚・感情のことです。

 

 

そう思い込んでいるので、自分が幸せになることを許しません。

 

 

といっても、そう自覚できる場合もあれば、潜在意識の深くにあって、まったく気づかない中で、自分を罰し続けることもあります。

 

 

罪悪感があるとどうなる?幸せを拒む心

 

罪悪感があると、自分が幸せになることは許せませんから、幸せを感じないように自分を仕向けていきます。

 

 

自分が幸せにならない選択をしてしまいます。

 

 

自分を傷つけて苦しめる環境に身置いたりします。

 

 

まるで奴隷のように、自分を犠牲にしてまで相手に尽くそうとしてしまいます。

 

 

また、「病は気から」ともいわれるように、自分は罰せられるべきであるという感覚(気持ち、気)があると、病気を引き寄せるともいわれています。

 

 

(実際、検査しても何も異常がないのに体の痛みを訴える場合は、罪悪感の苦しみが、体の痛みとなって現れている、と捉えられる場合もあります)

 

 

また、幸せになってはいけませんから、相手からの愛を受け取ることが出来ません。

 

 

愛は何も受け取れないわけですから、人からの親切も受け取れません。

 

 

なので、助けを求めることも、頼ることも出来ません。

 

 

すると、一人で頑張り続ける他なくなり、燃え尽き、死の誘惑に駆られてしまうほどに自分を追い詰めてしまいます。

 

 

本当に苦しいです。

 

 

少し休憩を

 

皆さん、ここまで大丈夫だったしょうか。

 

 

「自分いじめ」をする心の仕組み、ご自分に何か思い当たる節があったでしょうか。

 

 

読んでるだけで、苦しくなって来ていませんか?

 

 

その場合は、少し記事から目を離して、新鮮な空気を深呼吸してくださいね。

 

 

無価値感はどこから来た?原因とルーツ

 

人は、いい思いをしたことよりも、痛みのある、ネガティブな思いをしたことの方が強く記憶に残るものです。

 

 

なので、過去を振り返ったときに、愛されなかった経験の方が強く印象に残ってしまっている場合もあります。

 

 

それが、「自分には(愛される)価値がない」という誤解となって、後の人生にも大きく影響を与えてしまいます。

 

 

たとえば、

 

 

・親に構ってもらえなかったり

 

・幼い頃からしっかりしなくちゃいけなかったり

 

・親を支えなくてはならなかったり

 

・いい子にしてたら、〇〇したら、という条件付きでしか愛されなかったり

 

・過度に期待をかけられていたり

 

 

また、思春期に何かトラウマ的な経験をしたりすることも、無価値感のルーツとなることがあります。

 

 

罪悪感はどこから来た?幼少期の体験

 

自分のしたことで、人を怒らせたり、困らせたり、傷つけたり…

 

 

そのような「加害」を行うとき、罪悪感が心に生じます。

 

 

ですから、幼い頃のきょうだい喧嘩も、小さい頃にお母さんを困らせた体験も、罪悪感の元となっていきます。

 

 

(つまり、人であれば誰にでも、罪悪感はあるということです)

 

 

また、自分が、役に立てなかったり、助けられなかったりすることも、罪悪感を心に生じさせます。

 

 

このような体験と罪悪感があると、大人になってからも、助けを必ようとする人ばかりと付き合うようになったり、仕事を背負い込んでしまったりします。

 

 

また、恵まれていることへの罪悪感というものもあります。

 

 

たとえば、「貧しくて食べられない人たちもいるのに、わたしは三度の食事を摂ることが出来ている」と、申し訳なく感じるような場合などもそうです。

 

 

自分が幸せになることは許せませんから、お金や時間や物や人間関係や仕事など、自分の状況や状態が恵まれて豊かになればなるほど、罪悪感を募らせていきます。

 

 

そして、恵みや豊かさに憩うこともせず、自分を傷つけたり、自分を粗末にするような仕打ちばかりをしてしまうのです。

 

 

「自分いじめ」をしないことは「悪」なのか?

 

このように、「自分いじめ」をやめたいにも関わらず、無価値感や罪悪感の働きで、わたしたちは「自分いじめ」をやめることが出来なかったりします。

 

 

しかも、愛を受け取れませんから、罪悪感を抱き続けて自分を罰し続けるほかなく、また、愛を受け取ったところで価値を感じられませんから、無価値感を埋めようと何かをむさぼり続けるしかありません。

 

 

「自分いじめ」の心の仕組みは、なんと過酷でしょうか。

 

 

けれども時に、

 

 

「『自分いじめ』をするくらいの厳しさがなければ、人は成長を止めてしまうのではないか?」

 

 

「人として成長するために『自分いじめ』はすべきではないか?」

 

 

という声も聞きます。

 

 

成長するためには苦しみが必要で、ダメ出しや自己否定の「自分いじめ」が必要だと言うのです。

 

 

「絶対必要じゃない?」

 

 

「それが向上心でしょ?」

 

 

という声も聞いたことがあります。

 

 

確かに、「自分を叱咤激励した方が、やる気も出るし、情熱をもって成長できるし、楽しい!」という人にとっては、自分に鞭を入れることもまた良いでしょう。

 

 

そして、そのように、自分に刺激を与えて成長することが好きだったり、その方が自分らしいという価値観を『自分いじめ』と表現するなら、それはそうとも言えるでしょう。

 

 

しかし、苦しくてつらくて、体も心も疲弊していて、自分らしいとはほとんど感じられないような、無理をしている場合。

 

 

そんな「自分いじめ」は、やっぱりやめて行った方がいいな、とわたしは思うのです。

 

 

無価値感、罪悪感を癒して、自由になる

 

心の問題を引き起こす、二大巨頭とも言われている「無価値感」と「罪悪感」。

 

 

これらを癒す方法は色々あります。

 

 

その一つが、先の記事(「頑張れない私」はダメじゃない?②)で書いた「自分を大切にする」ということです。

 

 

「自分を大切にする」というのは、「自分に優しくする」ということであり、「自分を甘やかす」ということです。

 

 

甘やかしたらダメになってしまうのでは?と思う人もいるかもしれません。

 

 

ずっと自分を甘やかして来た人にとっては、そうかもしれません。

 

 

けれども、ずっと「自分いじめ」をしてきて苦しく感じている人は、「甘やかすぞ!」と決意するくらいの気持ちで自分に優しくすることで、やっと、自分を少しずつ大切にできるのでは、とわたしは思います。

 

 

というのも実は、わたしも、「甘やかしたらダメになる」と思っている一人だったからです。

 

 

その価値観は、父の声で、何度も脳内再生されていました。

 

 

なので、「今のわたしに、その価値観は合ってるかな?」と改めて見直したときに、

 

 

「甘やかしたらダメだ!が『自分いじめ』になってるな。

 

 

今の自分には合っていないわ」

 

 

と、気づいて手放すことが出来ました。

 

 

「自分を甘やかす」ことは、「自分を思い遣る」ことです。

 

 

そして、「自分を思い遣る」ことは、「自分を大切にする」ことです。

 

 

(このように、「自分に優しくする力」のことを、セルフ・コンパッションといいます。

 

 

クリスティン・ネフ博士の研究をはじめ、心理学分野の研究や臨床現場で、その有効性が示されています。

 

 

「自分いじめ」を何とかしようって、世界中で日夜研究が続けられているのね)

 

 

一人で悩むより、時短で解決を

 

「自分いじめ」に気づくにはどうしたらいいのか?

 

 

「自分いじめ」から抜け出すにはどうしたらいいのか?

 

 

そもそも、「自分いじめ」はなぜやってしまうのか?

 

 

3回にわたってお話をしてきました。

 

 

心の仕組みは分かったけれど、自分で何とかしようと思うと途方に暮れる――

 

 

そう感じた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

そのような方は、わたしのカウンセリングを受けに来てくださいね。

 

 

(カウンセリングには、問題解決の時短効果があるんですよ)

 

 

一緒に、癒しを進めていきましょう。

 

 

お待ちしていますね。

 

 

愛夫家りお

 

 

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この機会にぜひお試しください。

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【引用出典・参考文献】
2022/11/16、2023/01/10 お弟子の会ミニ講座資料
根本橘夫『なぜ自信が持てないのか 自己価値の心理学』(2007年)
根本裕幸『7日間で自己肯定感をあげる方法』(2017年)
根本裕幸『7日間で自分らしい生き方を見つける方法』(2018年)
根本裕幸『いい人すぎていつも損している自分の守り方』(2022年)
根本裕幸『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』(2019年)
根本裕幸『今日こそ自分を甘やかす』(2021年)
心理カウンセラー根本裕幸オフィシャルブログ

 

 

 

「頑張れない私」はダメじゃない?シリーズ|もくじ

 

「頑張れない私」はダメじゃない?「自分いじめ」に気づくヒント①

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「頑張れない私」はダメじゃない?「自分いじめ」から抜け出すヒント②

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「頑張れない私」はダメじゃない?「自分いじめ」の原因、無価値感と罪悪感から自由になるヒント③

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