素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りおです。
大学院卒・元国語教師のわたしが、あなたの物語を共にたどり、愛と命と光につながるお手伝いをします。
主人は言った。『よくやった。良い忠実な僕だ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい。』(新約聖書「マタイによる福音書」25:21)

「まじめ」な自分が恥ずかしかった
思春期頃からでしょうか。
わたしはよく「まじめじゃねー!」と言われるようになりました。
その人がどんな気持ちでそう言ったのか、本人に直接聞いたことは一度もありませんでしたが、誰かに言われるたびに、
「わたしって、堅苦しくて、融通が利かなくて、冗談も通じなくて、面白くない人なんだなぁ」
まじめ人間でごめんなさい、と感じていました。
(罪悪感じゃね。)
「まじめ」は褒め言葉?
時はくだって50歳が過ぎ、美容院で髪を染めてもらっていたときのことです。
「まじめですねー!」
一緒に雑談をしていた美容師さんにそう言われました。
文脈としては、褒め言葉のようです。
でもわたしは、
「昔から『まじめ』って良く言われるんですけど、面白くない人間でごめんねーって思っちゃうんですよねー」
と、罪悪感にまみれたありのままの自分を軽やかに白状しました。
すると、
「え?わたしなんて、『まじめ』って、友達にも言われたことないですよ!
そりゃ仕事はまじめにやりますけど。
褒め言葉です!」
と力強く言われました。
ビックリです!
皆さんは、褒められても”なぜか喜べない”言葉、思い当たるものはありますか?
自分を責めてきた理由に気づく
言われてみれば、確かに、「まじめ」という言葉には、嘲笑・蔑視・侮辱の意味はありません。
誠実で真心があって信頼できる人柄であったり、本気で真剣である態度や、嘘やいい加減なことろがない様子を指します。
一方で、完璧主義だったり、責任を抱え込みがちだったり、柔軟性に欠けていて臨機応変に動けない様子を、おちょくったり、皮肉ったりするときに使うことはも、あるにはあります。
ところが、わたしの場合。ネガティブな意味のみ!
ひとまずそのまま受けとめて、「わたしはそう思うんだねぇ」と自己受容です。
すると、
「きっと、何か理由があってそうせざるを得なかったんだろうな」
こんな風に、自分を思い遣る余裕や冷静さも心に生まれてきます。
(自己受容って、ええね!)
そこでまた、自分にこう尋ねてみます。
「なんでそう思うの?」
「まじめ」は「平和の輪を乱す」という思い込み
振り返ってみると、みんながくつろいでいるとき、ワイワイ楽しく遊んでいるとき、お互いに笑い合っているとき、
「まじめ」なわたしが水を差して、台無しにしてしまった体験がいくつもあるように思われました。
まじめなわたしのせいで、場の空気が張り詰め、シーンとしてしまった。
まじめなわたしのせいで、みんなの顔から笑いが消えて、お通夜のようになってしまった。
まじめなわたしのせいで、みんなの喜びや楽しみが、苦しみに変わってしまった。
小6最後の通知表にはこう書かれていました。
「平和の輪を乱す」
薄々感じてはいたけれども、誰にも知られたくないショッキングな評価です。
担任の先生は、中学生になる前に、みんなには少し厳しいことを書きました、と言っていました。
みんな同じカンジか、、、と救われた気持ちがする一方、惨めな自分にため息でした。
「まじめ」は悪くない─物語の中の“まじめ”な人
映画やアニメやドラマでも、物語には必ず、ちょっと煙たがられる「まじめ」なキャラクターが登場します。
まじめさゆえに人間関係に軋轢を生むこともあるのですが、それがまた良いスパイスになったりします。
そして、次第に明かされていく人物像にホロっと涙することもあったりして、それで応援したくなったり、好きになったりもするものです。
けれど!
「自分の人生」という物語を生きる、主人公「わたし」に対しては、わたしたちは本当に厳しいです。
わたしもまた、自分に「まじめさで平和の輪を乱す人」とのレッテルを貼ったっきり、決して剥がそうとはしなかったのですから!
(でも、剥がすのって、一人でやるのは結構大変よね。
そんなときは、わたしのカウンセリングにぜひいらして。)
わたしはどうなりたい?
そんなわたしにとって、美容師さんの「褒め言葉です!」という宣言は衝撃でした。
美容師さんは、わたしにとって「パワースポット」みたいな人です。
なので、その良きエネルギーにわたしもぜひあやかりたい!わたしはいつもそう思っていました。
それならもう、自分の「思い込み」を書き換えてバージョンアップするしかないですねっ!
「褒め言葉です」という愛を受け取って、罪悪感を溶かすしかないですねっ!
わたしは意気揚々と思い込みを手放し、書きかえていくことにしました。
「わたしは『まじめ』で素晴らしい!改めてヨロシク!」
ここまで読んで、「りおさんはそんな風に出来るかもしれないけど、わたしはちょっと…」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
自分はどうしても人からの褒め言葉を喜べない、受け取れない……。
そんなときは、自分の心と身体にこう問いかけてみてください。
「わたしは、どうなりたい?」
癒しとは「つながること」
人とつながると、思ってもいないタイミングで癒しが訪れたりします。
それは、「かつての自分」と「今の自分」が再び出会い、つながることでもあります。
こうして、人とつながり、自分とつながることで、人は癒され、自分らしく晴れ晴れと生きていく力を得ていくのですね。
「わたしのこと、まじめって褒めてくれて、ありがとう」
そんな風に愛を受け取り、愛を返しながら。
思い込みを癒すということ
「まじめ」なわたしはダメだ。
それはわたしの、悲しい体験から生まれた「思い込み」でした。
けれども、それに気づいたとき、わたしはその「思い込み」を書きかえることが出来て、
誠実で信頼できる「まじめ」なわたしだけでなく、堅苦しい「まじめ」なわたしにも「ええよ」と言えることも出来るようになりました。
今の自分とかつての自分が、こころの中で一つとなって生きていけるようになりました。
(こうしてだんだん「こんなわたしでもええわぁ、好き♡」になっていくのよ。)
もし今日、何かで自分をがんじがらめにしていて、苦しい、つらい、そう感じる人がいるなら——
いつでも、わたしのところにお話しに来てくださいね。
一緒に、どういう「思い込み」があるのか、探してみましょう。
一緒に、どういう痛みがあるのか、そっとのぞきにいきましょう。
そして一緒に、「大丈夫よ」と手をさしのべてあげましょう。
お待ちしていますね。
愛夫家りお
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