素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りおです。
大学院卒・元国語教師のわたしが、「あなたの物語」を共にたどり、愛と命と光につながるお手伝いをします。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(新約聖書「ローマの信徒への手紙」12:15)
人を思いやるうえで、想像力はとても大切です。
相手はいま、どんな気持ちなのだろう。
どんな背景があって、この言葉を言ったのだろう。
どう受け取ったら、相手を傷つけずに済むのだろう。
そんなふうに想像する力は、人との関係をあたたかくしてくれるものだと思います。
一方で、最近、わたし自身も少し立ち止まって考えたことがあります。
それは、自分軸で伝えるか、他人軸で伝えるかで、想像力は思いやりにもなるし、決めつけにもなるということです。
相手のことを思って想像すること。
自分の想像を、相手に確認しないまま、相手の現実のように扱うこと。
この二つは、近いようで、実はかなり違うのかもしれません。
図にすると、このような感じです。

想像することそのものは、悪いことではありません。
大切なのは、その想像を「わたしの中に起きたもの」として扱うのか。
それとも、「相手の現実」として扱ってしまうのか。
その違いなのだと、わたしは考えています。
今日は、そのことを少し丁寧に考えてみたいと思います。
励ましの言葉が、少し苦しくなるとき
励ましの言葉は、基本的にはありがたいものです。
誰かが自分のことを考えてくれた。
力づけようとしてくれた。
あたたかい気持ちを向けてくれた。
そのこと自体は、とても尊いものだとわたしは思います。
ただ、ときどき、励ましの言葉が少し苦しく感じられることがあります。
たとえば、
「そんなことない。あなたは、きっと大丈夫」
「あなたは、本当はこうしたいんじゃないかな」
「あなたは、こういう言葉が必要だと思う」
そういう言葉を受け取ったときです。
もちろん、言った側に悪意があるとは限りません。
むしろ、善意や親しみから出た言葉であることも多いと思います。
けれど、受け取る側の中では、
「わたしは、弱音を吐いちゃいけないのかな」
「わたしに確認しないまま、そう言われるのは少し苦しいな」
「この人の想ってる“わたし”は、実際のわたしとは少し違うかもしれない」
という違和感が生まれることもあります。
そう感じることが時々なら、受け流せることもあります。
でも、会話やメッセージなどのやりとり全体を通して、いつも違和感を感じるようだと、返事をする前にそのイメージとのずれを訂正しなければならないように感じて、少し疲れてしまうかもしれません。
「もしかしたら」で止まれること
わたしは、想像すること自体が悪いとは思っていません。
むしろ、想像力がなければ、人の痛みや事情に心を寄せることは難しいと思います。
ただ、相手を大切にする想像力には、自分と相手は別の存在だという現実を認識できる「余白」が大切だと思っています。
わたし自身も、かつては「励ましたい」という気持ちが先に立って、相手の今の感じ方を確かめる前に、希望の言葉を差し出していたことがあったように思います。
(よかれと思って、という感じね)
そのときのわたしは、相手を思っているつもりでした。
でも今ふり返ると、相手のしんどさをそのまま受け止める前に、少しでも明るい方へ早く連れていこうとしていたのかもしれません。
だから、たとえば、
「もしかしたら、こう感じたのかな」
「違っていたらごめんなさい」
「わたしはこう思ったんだけど、あなたはどう?」
などのように「余白」を持ちたいといつも思うようになりました。
「余白」とは、
・「わたしはこう感じた」と言えるけれど、「あなたはこうだ」とは決めつけない柔軟さ。
・自分の想像と、相手の現実とは違うという温かい区別。
そうする中でできる距離感は、相手への敬意でもある、とわたしは思っています。
自分軸と他人軸を分けるということ
自分と他人の間に線引きをすること。
(ここでいう「他人軸」とは、人の目を気にして自分を抑えるという意味だけではありません。
相手の気持ちや考えを、相手に確認しないまま、こちらで決めてしまうことも、他人軸の一つだとわたしは考えています。)
わたしは、こういうとき、主語を見ると分かりやすいなと思っています。
自分軸とは、
「わたしはこう感じた」
「わたしはこう思った」
「わたしはこう受け取った」
という、自分の内側の反応を、自分のものとして扱うことです。
主語が「わたし」の発言・思考ですね。
一方で、他人軸とは、
「相手はこう感じた」(かも)
「相手はこう思っている」(かも)
「相手はこう受け取っている」(かも)
と、相手の内側を想像して、相手に確認しないまま決めてしまうことです。
主語が「相手」の発言・思考ですね。
もちろん、人は誰でも想像します。
相手の言葉を聞いたとき。
相手の表情を見たとき。
相手の投稿を読んだとき。
そこから何かを感じたり、連想したり、意味づけしたりすることは自然なことです。
でも、その想像はあくまでも、「わたし」の中で起きた想像です。
相手の現実そのものではありません。
だから、自他の間に線引きがあると、
「わたしはこう感じたけれど、あなたはどう?」
「わたしにはこう見えたけれど、違っていたら教えてください」
というコミュニケーションとなっていきます。
自分の感じたことは、自分の場所に置く。
相手の感じたことは、相手の場所にあると忘れない。
この区別があると、想像力は思いやりになっていきます。
他方、この区別が曖昧になると、想像は決めつけになりやすくなってきます。
すると、決めつけられたように感じた側は、居心地の悪さや窮屈さを感じたりするかもしれません。
優しさが、このようにしてお互いの間に溝を作ってしまうのは、少し残念なことでもあります。
だからこそ、相手への思いが深ければ深いほど、自分と相手との区別を大切にしたいものです。
自分軸で感じる練習を、一緒にやってみませんか?
自分軸でいることは、
「わたしはこう感じた」
「わたしはこう思った」
と、自分の内側に戻ってくることでもあります。
でも、長く人に合わせてきた方や、相手の気持ちを先回りして考えることが当たり前になっている方にとっては、自分の感じたことを自分の場所に置くこと自体が、むずかしく感じられることもあるでしょう。
「これは、わたしの気持ちなのかな」
「それとも、相手に合わせているだけなのかな」
「本当は、わたしはどう感じているのかな」
そんなふうに、自分の気持ちが分からなくなることもあるかもしれません。
もしそう感じることがあっても、それはあなたのせいではないとわたしは思っています。
これまで、人との関係の中で一生懸命に気を配ってきたからこそ、自分の感覚よりも、相手の反応を優先する癖がついているのかもしれません。
カウンセリングでは、「相手が悪い/自分が悪い」と決めるのではなく、あなたの中で何が起きているのかを、丁寧に一緒に見ていきます。
自分軸で感じること。
相手の現実は、相手の場所にあると忘れないこと。
自分の気持ちを、少しずつ自分の手元に取り戻していくこと。
想像力が思いやりとなるコミュニケーション。
もし、人との関わりの中で、
「なぜか苦しい」
「相手に合わせすぎてしまう」
「自分がどう感じているのか分からなくなる」
と感じることがあれば、よかったらお話を聴かせてくださいね。
あなたの中にある感覚を、丁寧にたどるお手伝いをします。
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