素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りおです。
大学院卒・元国語教師のわたしが、「あなたの物語」を共にたどり、愛と命と光につながるお手伝いをします。
何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。(新約聖書「フィリピの信徒への手紙」4:6)
自己肯定感を上げたいと思っているのに、どうしたらいいのか分からない。
疲れ切ってしまっているのかも。
もう、がんばる力も残ってないかも。
そんなふうに感じている人はいるでしょうか?
わたしもそのような一人でした。
今日は、そんなわたしがどうやって自己肯定感を上げていったか、その取り組みのお話です。
なんだかちょっと楽しくてわくわくしてくる、そんなヒントになれば幸いです。
自己肯定感が低くて、緊張で体もカッチコチ
「わたしはダメだ」とずっと責めているかのような、言葉にならない感覚。
どこに居ても、緊張感が抜けません。
一人で過ごしているときもです。
わたしの場合は、社会人になって余計ひどくなったように思います。
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怒られるんじゃないか
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迷惑をかけるんじゃないか
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失敗するんじゃないか
気づけば、いつもそんな感じで身構えていて、へとへとに疲れていました。
体もカッチコチで、とてもしんどかったです。
(緩めたくて、アレクサンダー・テクニークを学びにいったりもしたよ)
わたしは中高と吹奏楽部だったのですが、その経験からたとえると、
「ずーーーっと、本番のステージに出ていく前の舞台袖に居て、息をひそめているかのような緊張」
があるような感じでした。
当時は、「なんとかしたい」と思うものの、何をやってもダメで、疲れてお手上げという状態でした。
そんな中、心理学に出会って、自分に何が起こっているのか少しずつ分かってきました。
あの緊張は、「他人軸」になっているときや、自己肯定感が低くなっているときに起こりやすい反応でもあったのです。
そうと分かれば、何をすればいいかも見えてきます。
わたしはさっそく「自分軸」になる練習を始め、自己肯定感を上げていく取り組みを始めました。
(あのときは嬉しかったなあ)
「好き」を認めることのメリット
そのような取り組みの中でも、わたしがとてもいいな、楽しいな!と感じたのは、「好き」という感情を認めること、でした。
師匠の本(根本裕幸 著『つい他人軸になるあなたが7日間であなたらしい生き方を見つける方法』)には、こうあります。
好きなことを好きと認める。
嫌いなことを嫌いと認める。
感情をありのままに認めよう。(『生き方』p.56)
わたしはこれを読んだとき、なんて素敵なんだろう!と嬉しくなりました。
そして、「なんだぁ、そっかー」と肩の力が抜けました。
だって、ただでさえつらいのに、自己肯定感を上げるために修行のような過酷な取り組みをしなくちゃいけないとなったら、もう絶望的に無理だと思っていたからです。
師匠は本のこのあたりで、幸せとは自分の心が感じている感情、だから、自分の感じ方、自分の感情が大事、といったことも書いていました。
「だからこそ、感情をありのままに認めること」が大切だ、と。
(p.58~59 あたりよ)
これだけで良いだなんて!
なんだかとってもラクチンで、楽しそうです。
ただ、一つ大事なポイントがあります。
「好き」を感じるとか、認めるということは、“完璧に「好き」と言えるものを手に入れる”とか、“高価なものを集める”とか、“理想の生活に変える”という話ではないということです。
「好きかどうか?」の感覚チェックは、日常の、くだらないと思えるほどささやかなことから始めてみても大丈夫、ということです。
(これは、自分がやってみてしみじみ実感したことよ)
たとえば、毎日使う歯ブラシの色は「好き」か?とか。
仕事で使ってるボールペンは「好き」か?とか。
今使ってる箸は「好き」か?とか。
山のように積んであるレタスはどれが「好き」か?とか。
(全部同じに見えるね。ここぞとばかりに直感で選ぶチャンスよ)
そして、この「好き」の話には、「嫌い」ももれなくついてきます。
優しい人ほど、人や物に対して「嫌い」と感じることを、自分に禁じているかもしれませんね。
けれど、「嫌い」も「好き」と同じ「感情」です。
なので、「好き」を感じる感情を働かせるためには、「嫌い」も自分にゆるしてあげないと、感情を感じることができなくなってしまいます。
師匠の別の本(根本裕幸著『書くだけで「自己肯定感」が高まるワークブック』)にも、こんな言葉がありました。
生きる上では「嫌いなことをしない!」という覚悟も、とても大切です。(『ワークブック』p.31)
覚悟!
何と強烈なインパクトだろう、と最初読んだとき、わたしはびっくりしました。
それほど、自分の「嫌い」「イヤだ」という感情は大切なのですね。
「好き」も大切。
「嫌い」も大切。
こうして、どんな感情をもありのままに認めて、大切に扱えるようになると、
「わたしのどんな感情も大切」
「どんな感情を感じるわたしも大切」
と、自分を大切に扱えるようにもなっていきます。
自己肯定感と「好き」の関係
このように、小さな「好き」を見つけて、それを否定せずに受け止めていくこと。
それは、自分の感覚や感情を信頼する練習でもあると思います。
「こんなの好きって思うなんて変かな」と打ち消しそうになるときも、「ああ、わたしはこれが好きなんだな」と気づいてあげて、まずはそのまま受け止めてみる。
これは、自分の心の声を粗末にしない、自己受容の練習でもあります。
その経験が積み重なっていくと、自分の内側にも少しずつ安心感が生まれていきます。
「わたしはわたしで良い」と感じられる自己肯定感が、育っていくのですね。
そして、こういう小さな経験は、「自信」にもつながっていくのかもしれません。

付箋で「好き」を拾ってみた
さて。
「好き」という感情を認める、具体的な取り組み。
何をしようか?と思ったとき、ふと弟たちのことを思い出しました。
わたしには2人、弟がいます。
小さい弟たちは、お気に入りのシールを、好きなところに好きなだけベタベタ貼っていました。
もちろん、母に叱られます。
でも、お構いなしです。
わたしは「いい子」で、「好き」を抑圧してた
少しお姉さんなわたしはどうだったかというと、
「そんなところに貼ったら、みっともないじゃん」
「シールを剥がしたとき、壁もいっしょに剥がれちゃうじゃん」
「お母さんに怒られるじゃん」
「大切なシール、使っちゃったらもう終わりじゃん」
「だから貼っちゃダメじゃん」
「大事にとっとくべきじゃん」
そんなふうでした。
弟たちの無邪気さをうらやましく感じつつも、怒られないよういい子にすること。
そうして自分の「好き」を机の引き出しの奥深くにしまって、ひた隠しにすること。
大人になってからも続いていたこの癖は、このようにして出来上がってきたようです。
付箋ルールは「直感」
そこでわたしは、100円ショップで「好きな付箋」を買って、今、読んでいる本に「好きなだけ貼る」ことにしました。
ルールは簡単。
「ここ」
「貼りたい」
「なんとなくいい」
そんな小さな「好き」が少しでも動いたら、その直感に従って貼っていくだけです。
そして、どの付箋を貼るかも、そのときの気分に従って貼っていきます。
この箇所でいいのかな?この付箋で合ってる?という思考的な判断や正解を探す癖を、全廃していくわけですね。
最初のうちは、立ち止まってしまうこともたびたびでした。
けれども面白いもので、続けていくうちに、どんどん、直感に従って貼っていくことができるようになっていきました。
体感としては、とてもテキトーで自由な感じです。
その軽やかさの楽しいこと、楽しいこと。
好きな付箋ばかりをどんどん使い、ところかまわず「ここ」と思ったところにベタベタ貼っていきます。
やり切ったあとの爽快感
それを1冊やり切ったときの爽快感たるや!
達成感というか。
不思議と、なんだかちょっと鼻が高い感じもしました。
師匠がよくおっしゃる「自信=経験×自己肯定感」を、まさに実感したということなのかもしれません。
または、子どもの頃の自分ができなかったことを、大人になった自分が一緒になってやってあげた、インナーチャイルドの癒しからくる充足感だったのかもしれません。
あるいは、「わたしはこれで良い」「わたしは素晴らしい」という、高い自己肯定感からくる安心感だったのかもしれません。
いずれにせよ、自分の「好き」を肯定していく積み重ねで得られる感覚は、とても心地よく爽快で、軽やかでしあわせな喜びがある、と言えそうです。
付箋、すごいでしょ。ばっさばさです。笑
考えることより「好き」という感情を優先した結果。これでもまだ「好き」全開ではなかったので、ステキ付箋みつけたらリトライ予定。本は、根本裕幸@nemotohiroyukiさんの『疲れた時に読む本』(大和書房)https://t.co/fcn85WwMom @amazonJPより pic.twitter.com/PgjpmLohjN
— 愛夫家りお (@songrio1) 2021年9月9日
「好き」は、心のリハビリにちょうどいい
自己肯定感を上げる方法は、世の中にいろいろあります。
けれど、しんどいときに、いきなり大きいことはできません。
自信をつけよう。
行動しよう。
人と関わろう。
発信しよう。
それが、さらにプレッシャーになることもあります。
だからわたしは、「好き」は心のリハビリにもちょうどいいと思っています。
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失敗しにくい
-
お金がかからない
-
すぐできる
-
体に負担が少ない
-
何より、楽しい
こんな理由があるからです。どうかしら。いいでしょう?笑
しかも、「わたしはこれが好き?」と自分の感覚や感情を確かめていくことは、生きる主導権を、少しずつ自分に戻していくことでもあると思います。
「怒られるかも」「迷惑かも」という他人軸から、「わたしは、わたし」という自分軸へ。
この小さな移行が、積み重なると効いてくるのです。
好きは、説明しなくていい
「好き」を確認していく中で、もう一つ大切なことがあります。
それは、「好きの理由を、うまく説明しようとしない」ということです。
自己肯定感が低いときほど、自分に対して検閲が入りやすくなります。
「なんでこんなの好きなの?オカシクない?」
「こんなことして、意味ある?」
「ナントナク好きって、無責任じゃない?」
のようにです。
「好き」という感情は、説明できないことも多いです。
言葉になる前の感覚、「なんとなく」という直感になるとなおさらです。
むしろ、この「感覚」をキャッチできるようになると、自己を疑う時間が減って、「わたしはわたしで良い」と思える時間が増えていくのだろうとも思っています。
自己肯定感は、楽しいことから上げていい
自己肯定感が低い状態は、ほんとうにしんどいです。
だからこそ、手っ取り早く、楽しく、上げていきたいですね。
「頑張って上げる」より、「『好き』で戻していく」感じです。
わたしは、これが本当に楽しかったです。
そして、自分と向き合うことが、しんどくなったりつらくなったりしたときも、「好き」で救われたことも多かったです。
こういう小さな積み重ねが、いつの間にか「舞台袖に居るかのような緊張」をゆるめてもくれました。
「好き」なものを「好き」と感じる。
「好き」な人を「好き」と感じる。
「好き」を遠慮なく感じて、素直に正直に喜ぶことのできる「わたし」。
そんな「わたし」に、一緒になっていきましょうね。
愛夫家りお

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