心理カウンセラー愛夫家りお

 パートナーシップと家族とわたし

【読了】「あらしのよるに」(あらしのよるにシリーズ1)きむらゆういち◎作 あべ弘士◎絵

皆様、こんにちは。

 

夫婦歴24年(その間、引きこもること15年)、心理カウンセラーの愛夫家りおです。

 

大学院卒の元国語教師でクリスチャンのわたしが、ちょっぴり自分に厳しいあなたを休ませ、あなたらしく自由に生きる女性にします。

 

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、だれでもわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。*1」(聖書)

 

神様の招きを受けて、わたしもすっかり自分に「休むこと」を許せているよ。

 

次はあなたが、自分を許してあげる番だね。


わたしもお手伝いするよ。

 

一緒にラク~になって行きましょ。

 

絵本の感想

 

心理カウンセラーのゆか姐さん*2のブログで紹介されていた絵本を、シリーズごとごっそり、図書館から借りて来ました。


 

 

全7冊。

 

7冊と言っても絵本なので、あっという間に読めてしまいます。

 

ホクホクと嬉しい気持ちで7冊を順番に並べて(並べるの大好きです)、早速1冊目を。

ところが、読み終わって、わたしはガックリ肩を落としてしまいました。

 

一気になんて、読めやしない。

 

いや、読んでもいいし、読めもするんですけど、今のわたしにはそれは出来ないなぁと感じたのです。

 

絵本は、わかりやすい、やさしい言葉で綴られています。

 

なので、語られている言葉一つ一つ、登場人物の感じていること一つ一つが、ダイレクトに心に響いて来ます。

 

登場人物の感じていること、といっても、実際にはそれは、わたし自身の「読み」、わたしの解釈、わたし自身の感じていること、なんですけどもね。

 

1冊目の「あらしのよるに」を読んでガックリ肩を落としたわたし。

 

わたしは、映画『シュリ』*3みたいだな、とぼんやり思っていました。

 

どうにもならない現実

 

人との出会いやご縁には、絶妙なシチュエーションや、絶妙なタイミングというものがあります。

 

本来なら敵同士。だから、仲良くするなんてあり得ない、ましてや恋に落ちてしまうなんて。

 

(という映画が『シュリ』だったりします。)

 

厳しく敵対する立場であればあるほど、ハッピーエンドは望み薄です。

 

幼い頃のわたしは、そうであっても何とか頑張ったらハッピーエンドになるかもしれない、なんて思ってました。

 

というか、人間、頑張ればそれは実現できる!と信じていました。

 

(つまり、バッドエンドになるしたら、それは頑張りが足りないんだ!とも感じていた、ってことね。

 

正義感つよつよガールでした。

 

情熱的よね。)

 

大人になった今は、誰も悪くない、けど、どうにもならない切ない現実もある、ということを身に染みて理解できるようになりました。

 

道ならぬ恋、と呼ばれるものもそうだったりよね。

 

あらしのよるに」のヤギとオオカミは、

 

(以下、ネタバレが含まれますので、絵本を読んで内容を知りたい方は、今日は一旦、ここで読むのを終えておいてね。)

 

恋仲なのかどうかはともかくですが、嵐の夜という窮地を共に乗り切って、戦友のような旧知の仲のような、晴れやかな温かい充実した気持ちでまた会おうと約束して別れます。

 

最後まで互いの姿をハッキリ見ることも知ることもなく。

 

絶妙なすれ違いの中、互いに「気が合うね」と何度も喜び合うふたり。

 

そんなふたりの様子が、わたしには、折り合えない現実にぶつかる予告のように感じられて、切なくて哀しくて仕方ありませんでした。

 

悲しみと祈り

 

この後どうなって行くんだろう!と、わくわくする読み方もあると思います。

 

でも、わたしはなんだかとても哀しかった。

 

そのことから改めて、「今の自分」がどんな状態であるのか、どんな地点に立っているのか、に気づかされるんですね。

 

「誰も悪くない」「どうにもならない切ない現実」が強く心に響く。

 

ああ、そうか。

 

今のわたしは、そのようなことを目の当たりにして、悲しんでいるんだなぁ。

 

戦争や災害、悲しい訃報のニュースもそうですし、SNSで見かける、様々な社会問題や家庭問題もそうです。

 

個人的には、絶縁状態にある実父母との関係も、「誰も悪くない」「どうにもならない切ない現実」であったりします。

 

時に、悲しみに疲れて、動きたくなくなる時もあります。

 

そんな時は、わたしは「仕方ないよね」と自分に声をかけています。

 

そして、しばらく悲しみを感じ続けることを、自分に許してあげています。

 

感情って、感じてあげると流れて行きますからね。

 

すると、しばらくして、そろそろ動かないとなぁ、と感じられるようになって来ます。

 

(この「しばらく」は、自己肯定感がしっかりして来れば来るほど、短い時間で済むようになって来るんだな、とわたしは感じています。)

 

そして、少し動けるようになったら、「今」出来ることに取り掛かります。

 

台所にたまってる食器をいくつか洗うだとか、浴槽を軽く洗って給湯ボタンを押すだとか、洗濯物を何枚かたたむだとか。

 

ピアノの練習をちょこっとやるだとか、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」の踊りをサビの前までだけ練習するだとか。


(7月30日は、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」という歌に合わせてみんなで踊るという、彼女の誕生祭イベントに出かけて来るわよ。)


本をパラパラめくるだとか、ノートに細かい字でびっしり好きなだけ日記を書くだとか。

 

映画や海外ドラマを視て非日常にトリップするだとか。

 

そんな風に「今」を過ごしながら、さらに少し元気になったら、またさらに自分にこんな声をかけてあげます。

 

誰も悪くない、どうにもならない現実が切なくて哀しかったねぇ。

 

それほどに、わたしはみんなの幸せを願ってるんじゃね。

 

悲しくて動けなくなるほど、みんなが幸せになれるよう何とかならんかなぁって、わたしは強く強く願ってるんじゃね。

 

すごいじゃん。

 

みんながみんな幸せになるって、そんなん人間ワザじゃ無理でしょ!ってほどの平和を求めるなんて。

 

それって、神様の言われてる「真の平和」じゃん。

 

それを求めてやまんのじゃね。

 

「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」*4「神にはできないことは何一つない」*5っていう聖書の言葉があって良かったね。

 

そのみ言葉を抱きしめて祈るんじゃね。

 

神様、イエス様、叶えてください!わたしは「叶う」と信じます!って。

 

そう。

 

「今」のわたしには、祈ることしかできない。

 

でもそれが、わたしの出来ることの中で、最も強いことであるともわたしは知ってる。

 

「わたしは弱いときにこそ強い」*6と言う使徒パウロと同じだ。

 

すごいよね。

 

聖人であり使徒であるパウロと、わたしは同じ、だなんて!

 

ベストを尽くす

 

信仰はパウロと同じであっても、現実のわたしは、カウンセラーの仕事においても、まだ問い合わせフォームをオープンにしていなかったりと、何の働きも出来ていない、無力で小さい者のままです。

 

そんなわたしにも、仲間がいたり、知り合いがいたり、仲良くしてくれる人たちがいます。

 

わたしは、結婚して広島から静岡に来て、知り合いや友達が出来る前に病気になって引きこもっちゃったから、15年近く経っていざ社会復帰しようと外に出ても、知ってる人はだーれも居なかったんです。

 

友達も、だーれも居ない。

 

ゼロ。

 

幼い頃から独身時代まで暮らした広島の知り合いとも連絡を絶っていたし、親きょうだい親族とは絶縁状態で、夫方の父母きょうだい親族とも疎遠なままだったので、びっくりするくらい、夫以外、だーれも居ませんでした。

 

だから、今、夫もいて、仲間や知り合いや友達が居るってことが、わたしは本当に嬉しいんですね。

 

その身近な人たちと関わる中で、わたしがみんなに何かしらのパワーを送ること(影響を与えること)が出来ているのだとしたら、それが「今」のわたしの出来る、精一杯のことかなと思っています。

 

「誰も悪くない」「どうにもならない切ない現実」の中で出来る、わたしの精一杯。わたしのベスト。

 

そのわたしからのパワーが、受け取る人にとって「何か良いもの」であるといいな、と願いつつ。

 

本や映画や音楽の解釈や感じ方・受け止め方と同じで、わたしの与えているものが一体どういうものかということもまた、受け取る側に委ねられています。

 

それを重々承知の上で、わたしは祈っています。

 

ねがわくば、それが、その人にとって必要としているものでありますように。

 

温かい癒しでありますように。

 

温かい慰めでありますように。

 

ねがわくば、それが、わたしを通して、神様から送られてくる温かい愛でありますように。

 

生きる力、命でありますように。

 

切に、そう祈っています。

 

あと6冊ある絵本

 

その後、ヤギとオオカミはどうなってしまうのか。

 

続きを知りたいような、知りたくないような気分です。

 

残りは6冊あるので、時に楽しく感じて笑うこともあれば、また切なく感じて泣くこともあるんだろうな。

 

そんなことを想像しながら、おっかなびっくり、小さくわくわくドキドキしながら、1日1冊ずつくらいのペースで読んで行こうと思っています。

 

ご案内

 

皆さんにも是非、「あらしのよるに」シリーズの絵本を手に取っていただけたらなと思います。

 

読み終わった後の感想などを、皆さんと、わたしも色々お話したいと思っています。

 

メールやDM*7での文字での交流もさることながら、オンラインでお話しできるといいですよね。



ほんとに!是非、りおさんとお話したいわ!という方もいらっしゃることと思います。

 

(ありがとうございます!とっても嬉しいです!)

 

なのにわたしったら、まだお問い合わせフォームも準備していない状態。

 

いつなら都合がいいのか、日程だって決められない状態。

 

だから、このブログのコメント欄を開くことにしました。

 

コメントは、書いて下さるとすぐに公開されます。

 

(その設定になってるはず。)

 

お返事は、48時間以内にはさしあげたいと思っています。

 

が、いかんせん、わたしは、ああでもないこうでもないと書いては消し、書いては消して考えるたちで、さらに、なかなか短くまとめることが出来ない上に、すぐ長文になってしまう者です。

 

しかも、「あぁ、大丈夫だったかな」「失礼なこと書いてないかな」「誤解を招くような表現になってなかったかな」と、ビクビクオロオロしてしまう者です。

 

(えー!全然そうは見えない!ってよく言われるんですけどね。)

 

なので、そんなこんなでお返事が遅くなってしまうかもしれません。

 

その時は、ごめんなさい。

 

同士である、長文派の皆さん、書いては消し書いては消し「これでいいかな?」とドキドキ怖くて死にそうになるから投稿無理!という皆さん。

 

わたし、頑張って急いで、ご意見・お問い合わせフォームを作りますね。

 

そうしたら、何度も書き直しては確認して、ゆっくり自分のペースで、送りたい時に思いのたけを込めて送ることが出来ますものね。

 

待っていてください。

 

ありがとう。

 

「わたしはわたし、人は人」の自分軸で生きるって大切よね。

 

それって、自分らしく、地に足を着けて、ラクに生きる秘訣よね。

 

(そうなのよ。)

 

わたしも、わたしのペースで一歩一歩進んで行くよ。

 

一緒にラクに、幸せになって行きましょう。

 

シャローム*8

 

りお

*1:新約聖書「マタイによる福音書」11章28節

*2:心理カウンセラーのゆか姐さんは、心理カウンセラーの根本裕幸さんのお弟子で、わたしの先輩に当たります。

*3:韓国に潜入した北朝鮮工作員と、韓国諜報部員との悲恋を描いた韓国のスパイアクション映画(1999年)。日本での公開は2000年。

*4:新約聖書「マタイによる福音書」19章26節

*5:新約聖書ルカによる福音書」1章37節

*6:新約聖書「コリントの信徒への手紙 二」12章10b

*7:ディーエム。Twitterのダイレクトメッセージのこと。わたしのアカウントはこちら

*8:あなたに平安がありますように!という意味。旧約聖書の民、ユダヤ人の使うヘブライ語での挨拶です。