心理カウンセラー愛夫家りお

 パートナーシップと家族とわたし

夫婦はニコイチ。頭ではわかってたけど、「二人で生きる覚悟」はなかったかも。と気づいた話。

夫婦は、違う家で育った他人同士。だから、一緒に暮らすとなると、価値観のすり合わせが必要になって来るのはご存知の通りです。

でもね、それをするにあたって、ブチ切れて、なんでも言う通りにさせようとか、ブチ切れて、二度と同じ過ちはさせないとか、そういうピリピリした雰囲気の「家」はイヤだなぁと思っていました。

なんでも笑いに出来るといいなぁ。夫の実家がまさにそういう「家」でした。さすが関西、さすが大阪。

たとえば、わたしはタオルの端っこを、きれいにきっちり揃えてたたむのが好き。洗濯物は、きれいにきっちりたたんで、きれいにきっちり重ねます。うつくしいですね。まるでインテリア雑誌のワンシーンのようです。

ところが、夫は、いちおう四角にたたむんだけど、端っこがべろべろ。ひょひょっとテキトーに折りたたんで、ぱぱっと重ねる。だから、重ねたタオルはクレープみたいになる。

脱衣所で、そんなぐだぐだなタオルのタワーを見ると、なんだか落ち着かない。なので、わたしはたたみ直す。

それが出来ないときは、脱衣所で目にするたび「これ、気にならないんだ。すごいな。」と心で賞賛。そして、「気にならんのん?!」と夫に声をかける。「全然気にならへん」彼は大抵こう返事する。わたしの気になることは、基本、彼は全然気にならない。わたしは、呆気にとられて大笑いする。(イラっとするときも、もちろんありますが、そのお話はまた今度。)

こんな風に、お互いの違いはネタだと笑う。そして、「こうして欲しい」という要望は、順序良く伝えます。

「タオルの端っこがバラバラしとるー。わたしはきっちり揃えたい。揃ってるのが好き。落ち着く」ここでいつも「僕は平気やで」と返事が来ますが、察してくれない、分かってくれない、、、とめげずに、わたしも自分軸で話し続けます。「わたしは平気じゃなーい。なので、わたしがたたむのをお願いしたときは、端を揃えてたたんで欲しいdeath!」。こうお願いすると、大抵、夫はそのようにしてくれます。ゆるいけど。

わたしがお願いしてなくてたたまれたときは、盛大にぐだぐだでも仕方ありません。そういうときは、きっちりしたい人が、きっちりたたみます。

ジップロックで冷凍したご飯もそう。

いつだったか。同じく、ジップロック・コンテナでご飯を冷凍しているお宅の旦那さん(全然知らない人)が、奥さんに対して、こんなことをこぼしてました。茶碗に盛るときはほぐせよ!

奥さん、解凍した後、カパっと茶碗に返してほぐさない派なのね。あったか白飯が茶碗の中でプッチンプリン状態ということね。

我が家は逆。わたしが解凍して茶碗に盛るときは、まるで炊き立てご飯をよそったかのようにほぐす。でも、夫は、プッチンプリン状態。わたしが「えー。ほぐしてー」とぶーたれると、夫は「ほぐしたい人は、自分でほぐしてください」と言う。

そう。ほぐしたい人がほぐせばいいのです。奥さんにほぐしてもらいたいなら、「ほぐして♡」とお願いすればいいし、却下されたら(悲しいね)、自分でほぐせばいいのです。

愚痴った旦那さん。奥さんにあれこれしてもらいたいのに、ちっともあれこれしてもらえないから、俺って大事にされてねんじゃね?面白くねーな!って怒ってるのかもしれないね。きっと、「ママならしてくれるのに!」って思ってるんだよ。ぷぷぷ。

あーあ、かわいそうに。我々夫婦の手にかかると、どこかの旦那さんのプライドも、木っ端みじんの笑い話です。

でもね、なんでわたしはそんな風に想像できて笑えるの?ですよね。

さすが!ご明察!そう。それは、わたし自身が、「夫は、仕事で疲れて帰って来たのに夕飯作ってくれた。だから、ご飯がほぐれてなくても、文句言っちゃだめだ」と押し黙る一方、「解凍したご飯は、ほぐして、炊き立てご飯を演出すべきだ」「食卓はきちんとしていなければならない」なんて自分ルールにメラメラ燃えて、夫の行為を全力否定した経験があったからなんですよね。

おうちでママがやってくれた通りじゃないと、いけん!ちゃんとせにゃ、いけん!じゃなきゃ、パパがブチ切れてげんこつ飛んで来るよ!パパー!ママ―!

そんなわたしが居たわけです。

でもね、ここは夫とわたしの「家」であって、パパとママの「家」ではありません。

夫と共に生きるんでしょう?じゃぁ、古いルールは手放して、二人の新しいルールをワクワクしながら作って行きましょうよ。

ホントにそうです。すばらしいですね。そんなことに気づいてるだなんて、よっぽど出来た奥さんに違いありませんね!

違います。

出来てなかったから、気づいたんです。くっそー、居心地悪いなっ!一人暮らししたいわ!別れてやる!ああでも、それはムリ。それはイヤだ。だって夫のこと大好きだもん。いや!前言撤回!嫌い!やっぱり一人がいい!いや違う!やっぱり一人はイヤ!好き!くーっ!

そんな、長きにわたる内面闘争を経て、「あー。わたし、二人で生きる覚悟ってなかったかも」って気づいたんです。結婚して、えー今頃!?っていうくらい随分経ってから気づいたんです。ずっと、「なんでこの人、今もわたしと結婚しとるん?ホントはイヤなんじゃろ?わたしに対して、なんかすごい、罪悪感あるんじゃろ?」と思ってたんです。つまり、わたしは、「結婚しているという現実が間違ってる」と感じてたのです。

ヒドイ奥さんだよね。全然出来てないよね。というか自分のこと「夫のパートナー」だと気づいてなかったよね?むかつくわー。イライラするわ!あんた、どんだけ恵まれとるんかわかっとる?どんだけしあわせなんかわかっとる?ぶちまわすよ?

ホントに。「結婚してる現実が間違ってる」なんて思ってたら、そりゃ、二人で生きるなんて、想像だにしませんよねぇ。いわんや覚悟をや!(するわけがない)

でも、気づいてしまえば後は早いです。「自分はどうしたい?」と問いかけて、選ぶだけ。あるいは、選び続けるだけ。「二人で生きる?生きない?どうする?どうしたい?」

今のわたしは、「今」を、わたしはどう過ごすのか&二人でどう過ごすのか、この先を、わたしはどう過ごしたいのか&二人でどう過ごしたいのか、それらを楽しく考えています。あるいは、楽しいなぁ、しあわせだなぁ、感謝だなぁと、「今」をあますところなく感じるようにしています。考えるより、感じる割合の方がかなーり大きいかな。

もちろん、課題は多いです。たとえば、お金のことや親のことは、お互いセンシティブになってしまって、話すのはなかなか難儀です。

とはいえ。やだー、旦那さんにべたボレなんですねー。うらやましいー。わたしもそんな風に一途になりたいー。一途に愛されたいー。

いいでしょー。でもね、一途に愛されてたのか愛されてるのかは、夫のみぞ知るで、わたしは知らないんです。確かに、嫌いな人とずっと一緒に暮らすわけないし、15年くらい引きこもって汚らしくしてても離婚されなかったし。それって「奥さんへの深い愛があるからですよねっ!」てのも、ホントにそうだと思います。ホント感謝。

でもね。夫も男なので、女の人が好きだと思うんです。だから、わたしのことも好きなんよねー。

でね、わたしも女なので、男の人が好きなんです。だから、夫のことも好きなんよねー。

え…?一体、何の話?ちょっと何いってるかワカンナイんだけど。

ふっふっふ。続きの話は、また今度。