素顔のわたしでラク~に生きる!クリスチャン心理カウンセラーの愛夫家りおです。
大学院卒・元国語教師のわたしが、「あなたの物語」を共にたどり、愛と命と光につながるお手伝いをします。
ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。
だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(新約聖書「コリントの信徒への手紙二」12:9)
わたしには、Xのアカウントが2つあります。
なぜ2つ持っていたのか。それは、効率よく使い分けるためではありませんでした。
「発信するのは怖い!でも発信したい、しなくては—」
そんなやむにやまれぬ思いから、2つ目のアカウントは作られたのでした。
今日は、なぜ2つにしていたのかを振り返りながら、以前からのアカウントにまとめるご報告をします。
SNSなどに投稿したり、何か外に向けて書いたあとに、恥ずかしさがどっと来る方へ。
あなたにも、「発信したい気持ちはあるのに、なぜか怖い」そんな戸惑いがあったりするかしら。
もしそうだったら、わたしのこの『統合』の話が、何かのヒントになるかもしれません。
(「怖い?全然そんな風には見えない~」なんて、よく言われたものです。でも、怖くて怖くて。穴があったら入って埋まってしまいたいほどでした!)

「好き」を集めて、応援するようになった
引きこもりをやめて外に出ようと決めたわたしは、ネット上でも外向きになろうと思い立ちました。
(2020年頃かな。あのときの決断はちょっとスパルタだったかもしれん)
それで、Xでは「好きなものを好きと言う」練習をすることにしました。
自分の「好き」という感情を認めて肯定することは、自己肯定感UPに直結すると学んだからです。
なので、「好き」なものは「好き」と、自分に素直に正直になろう。
そんなふうに決めて、「好き」をどんどん集めていきました。
(ドキドキしながらフォローしたり、いいねしたり)
特に音楽は好きでしたから、次第に、ミュージシャンの方々のポストをよく見るようになりました。
けれど、何かコメントするのも、自分がポストするのもまだ怖い。
そこで、まずは無言でリポストすることのみで応援です。
そうしているうち、次第に、花の写真などを添えて「おはよう」を投稿できるようになってきました。
すると、「いいね」だけでゆるく繋がる顔見知り(アカウント見知り)も増えていきました。
楽しいですね。
でも、「好き」と言うのはとても怖かった
そんな風に、一見したところ順調だったのですが、「好き」を「好き」と書くのは、とても怖かったです。
思い切って投稿しても、すぐにクヨクヨ後悔してしまう。
「大丈夫だろうか?」という不安でモヤモヤする。
特に何もなくても、「失敗したぁ!」という絶望感に苛まれる。
こんな自分は大嫌いだ!という恥の意識や、嫌われたに違いない…という被害妄想に囚われる。
そんなこんなで、よく分からない強烈なプレッシャーを感じて吐きそうにもなりました。
(いや、吐いてたよ…)
それでも「訓練だ」「練習だ」と自分に言い聞かせて、ポストを削除せず、アカウントも閉鎖しなかったわたしです。
なんという気合と根性でしょう。さすが武闘派女子ですねっ。
けれど実際は、削除や閉鎖すら、怖くてできなかっただけなのです。
とにかく、何をやってもやらなくても、「怖れ」まみれで本当に大変でした。
今思うと、あの頃のわたしは、誰かに何かを「与える」どころではありませんでした。
怖れと恥を乗り越えることに必死で、それに一生懸命取り組むことしかできませんでした。
でも、四苦八苦しながら進んでいく姿をさらすことが、当時のわたしにできる「与える」だったのかもしれないな、と今は思っています。
数年後、お弟子講座を受講することになった
そんなことを続けて数年経った頃、根本裕幸さんのお弟子講座を受講することになりました。
(2022年の夏のことね)
講座の中で「SNSで発信してみましょう」という課題が出ました。
どうしよう。困りました。
というのも、わたしは、メールでもLINEでもブログでも、とにかくどこで何を書いても長文になるのです。
短く簡潔に済ませたい。
そう願っても、どんなに頑張っても、「みんなのように」簡潔にできません。
Xを毎朝投稿していても、そのことはずっと気がかりでした。
そんなわたしが、お弟子として発信していくわけです。
わたしは、文章だけの投稿では誰も読んでくれないだろうな、と怖れていました。
これまでは写真つきだから読んでもらえた、とも思い込んでいました。
心の問題などを話題にしたら絶対みんな嫌がる、とも思っていました。
そもそも、わたしなんかが分かった風に投稿するのは、もっての他だ!
煙たいアカウント認定されるだろうな、とも。
そんなふうに思い込んで悶々としていました。
もし、理想の自分のように、完璧だったら怖くないのに。
もし、「みんなのように」、「普通に」になれたら怖くないのに。
でもね、理想の自分にも、完璧な自分にも、「正しい」自分にも、なれない。
そこで、課題に向き合うための打開策として、2つ目のアカウントを作ることにしました。
2つ目のアカウントで残念ながらわたしが死んでしまっても、以前からのアカウントをそのままそっとしておけば、何とか助かると思ったからです。
(仰々しい比喩だけど、当時はそんな感じじゃったよ)
よし。これで何とかやってけそう。
長文になってもいい。
それを自分の強みとして肯定していこう。
わたしは、わたしを好きになるぞ!
そう決意しての2つ目始動です。
どっちのわたしも、知ってほしかった
とはいえ、「怖れ」からのポストだと、心の奥で依存の嵐が吹き荒れます。
2つ目のアカウントでリプライをもらうと、以前からのアカウントでも絡んでもらえたらなあ、と思ったり。
以前からのアカウントでリプライをもらうと、2つ目のアカウントでも絡んでもらえたらなあ、と思ったり。
音楽や写真が好きなわたしも、心理学や長文が好きなわたしも、どっちのわたしも知ってもらえたらなあ。
どっちのわたしも、みんなが許してくれたらいいのになあ、と。
この、「みんなが〇〇してくれたら」という、相手に何とかしてほしい、という心の在り方を「依存」といいます。
そうすれば自分はラクになるのに、と相手に「期待」することもまた、依存心のなせるわざです。
こんな自分は、なんだか弱くて惨めで卑怯な感じもしてきます。
恥じたり、「ダメだなあ」と責めたりもしました。
でもね、じっくり自分と向き合って、心の奥の本音が「依存心ばりばりだなあ」と気づけて、そんな自分をまるっと受けとめられたことは、とても素晴らしいことだったのです。
なぜなら、
「じゃぁ、わたしはどうしたいのか。」
「わたしはどうするか。」
そう考える冷静さが生まれて、自分軸で行動しようという次に移る気力もわいてきたからです。
(「自分が自分の人生の主役になる」とか、「自分が変われば世界が変わる」って、こういうことなんだなと改めて感じてるよ)
怖れと向き合うとは、こういうことだった
わたしにとって「怖れ」と向き合うということは、自己受容と自己肯定を何度も繰り返すということでした。
恥じる自分も、弱音を吐きたくなる自分も、逃げたくなる自分も。
それも全部大事な自分だというスタンスで、「そうなんだね」と言ってあげる。
「助けてほしい」「嫌わないでほしい」「わたしをわかってほしい」と依存心が吹き荒ると、そのたび、自己嫌悪で死にそうになったりもします。
それでも「そう思っちゃうのも、しゃあないよね」と、自分につきあい続ける。
どんな状況の自分も受容し続け、わきあがるどんな感情をも肯定し続ける。
そんな「自分が自分に優しくする」つきあい方をしていると、「怖れ」は、だんだんと薄まっていきました。
(自己受容と自己肯定。この力ってホントすごいわ)
以前からのアカウントで告知してみたら、何も起きなかった
そしていよいよ、働くぞと肚を括った昨年。
(2025年の夏のことね)
自分を隠すことをやめるぞ!との決意のもと、以前からのアカウントで「心理カウンセラーとして働いていきます」と宣言しました。
ブログの更新も、以前からのアカウントで始めました。
すると、驚いたことに、誰もわたしをフォローから外さなかったのです。
いつも通り「いいね」をポチっと押してくれて、いつも通りの距離感で、みんないつも通りに居てくれただけでした。
わたしだけが怖がっていて、わたしだけが勝手に「きっと嫌がられる」と思い込んでいるだけでした。
あなたは、あの頃のわたしと同じような「怖れ」を感じておられるかしら。
もしそうだったら、わたしは、まずは「自分が自分に優しくする」ところから始めていいと思っています。
自分が自分に優しくできるようになってくると、自分の心の内側が外の世界に反映されているみたいに、外の世界も穏やかになっていく、と、わたしも体験したからです。
(これを、心理学では「投影」ともいうよ)
以前からのアカウントにまとめます
2つ目のアカウントは、わたしの「怖れ」から始まりました。
そして、「怖れ」からの脱却と共に、使われなくなっていきました。
ただ、クリスチャン心理カウンセラーのアカウントとして認知されているからかでしょうか。
告知などを待っていてくれる人も多いようです。
とてもありがたいです。
今後、発信は以前からのアカウントにまとめて、2つ目のアカウントは置いておく形にします。
その上で、これからは、以前からのアカウントで「好き」なものは「好き」と発信していきます。
長文も投稿します。
ポエミーな写真つき投稿もします。
ダジャレや夫との笑えるひとときも投稿します。
心理学的な気づきや、クリスチャンとして感じたことも投稿します。
皆さまへ、ありのままの素顔のわたしを差し出します。
SNSで繋がっている皆さま、ブログ読者の皆さま、カウンセリングやワークショップでお会いした皆さま、これからも応援よろしくお願いいたします。
愛夫家りお
わたしも怖れなく自己表現できたらな、と思う方へ
もし、あなたにも、怖くても少しだけ発信してみたい日があるなら。
もし、「好き」を「好き」と素直に言ってみたい思いがあるなら。
よかったら、わたしに声をかけてくださいね。
その実現をお手伝いいたします。
愛夫家りお
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